05






「私はもともと神に仕える白蛇だった」
「白蛇?」
「知りやせんか?」
「知らない」
 仕方がない、神社や寺はあれどそこに行く機会はもうずいぶんと減った。21世紀は科学の時代だ、いや、もっと昔からだったか。
「使いと言うことはそれなりに仕事もある。
私はその最中偶発的にだが血を浴びた。血は穢れたものとして忌まれていた。
当然私にも処罰は下された。私はそれで目を焼かれ、ここへ堕ちてきた」
 淡々と、男は話した。
「何も見えず、ただ私は闇雲に動き回り、神を、天の連中を呪った。
当然だ、私に罪は一切ないのだから。むしろ先を見えなくした神にあるだろう。
呪う中にも、私は天の連中が私を救い上げてくれるんじゃないかと言う希望があった。だが、結果は見ての通りだ。
天の連中は何もしてこなかった。私は次第に叫ぶのをやめた。思い出したように叫ぶときはあっても大概静かになった。
この頃、やっとこの世界のものと関わりを持つようになった」
 ちら、と男は髑髏の方を見た。そんなに古くから居たのか、と私は驚きの眼差しで髑髏を初めて見た。
「それからしばらくしたころだった。一人の女がこの地底に迷い込んできた。
無論死人だ。だが、その魂は何の問題もなく輪廻を繰り返すはずだった。
その女は、私が神に期待した、それ以上を私に与えた」
 初めて男がその能面のような死人のような顔に表情を浮かべた。生きたまま体を引き裂かれているような表情で男は話し続けた。
「彼女は、あたたかかった。私は彼女と共ならば永遠に此処にいてもいいとすら思った。
これが他のものを愛するということか、と私は思った。彼女の方でも私を好いていてくれているようだった。
だがあるとき、これは私の失態だった、彼女の存在が天の連中に露見した。
たちまち、彼女は元の予定通り輪廻を迎えることになった。
私には更なる罪の浄化としてこの地に留まることを義務付けた。私たちはそれを無視した。
もともと天の連中から逃れるため共にいたのを、もっと私は彼女を傍に置いた。
天の連中は催促を繰り返した。私たちはそれも無視した。
そんなあるとき、私に用ができた。仕方なく、私は一人で出かけた。
私は見くびっていたのだ、私が帰った時には、彼女は天の連中に無理矢理輪廻をさせられていた」
 男は自分の左手で右手を強く握りしめていた。溢れ出す感情を押さえつけているようであった。
「それから私は天の連中に直談判をしに行った。徒労だった。
また私は天の連中を呪った。今度は自分をも呪った。だがまた私は叫ぶのをやめた。もう何もわからなくなった。
今度は、私のところに天の連中が来るようになった。浄化が終わったから転生しろと言った。
私は、彼女にいない世界に輪廻する気などなかった」
 その時だった。急に、ふわりと意識が浮いた。
「待って!」
「話は終いだ、私はそろそろ輪廻を迎えよう。少年、お前がまた来るまで待ってやる」
 明るみに向かう意識で、その言葉がはっきりと耳に響いた。
 起き上がっても、まだその声ははっきりと耳に残っていた。つとめて私はまたあの甘い腐臭が漂う地の底へ行こうと試みた。だが不思議なもので、行こうと思っては目が冴えるばかりで一向にあの微睡みは訪れない。仕方なく私は起き上がった。時計は、そろそろ昼に差し掛かろうとしていた。



 それからしばらく経ってもまだ地の底へは行けなかった。そうこうしているうちに学校が始まった。私は全くと言っていいほどに集中せず授業に臨んだ。体育の時間だった。目の前には跳び箱があった。運動ができるわけでもないができなくもない私は、少々高めに設定した跳び箱を見て決意を定めた。
 ゆっくりと走りだし踏切板を勢いよく踏み切る。そして、わずかに腕を変な方向につかせた。効果は抜群だったが、見た目にはひどいものだったろう。見事に高い跳び箱の上から私は落ち、意識を飛ばした。
「なんとまあ、思い切ったことをしたものだな」
 のんびりとした声がして私は首を巡らせた。すぐ後ろにあの男の姿があった。ほっと私は詰めていた息を吐いた。
「まだ、いたんだ」
「ああ、だがもう行かなければな」
 落ち着いて、男は言った。私は口の中がからからになっていくのを感じた。
「行くの?」
「ああ」
 甘えた調子になるのが嫌で、それしか言えなかった。だが男はそれでも十分感じ取れたようだった。
「まだ、ここに来たいか」
 涙目を見られるのが嫌で俯きながら、それでもしっかりと頷く。
「私にまだ、会いたいと思ってくれるか」
 躊躇したが、頷いた。何故か分からないが私はこの男に惹かれていた。ふわりと男が微笑むのが雰囲気で分かった。
「顔をあげろ」
「嫌」
「お前の疑問を解いてやろうと思ったのに」
 ぱっと思わず顔を上げていた。子供の悪い癖だ、こういうところがまだ大人になり切れなくて私は苛々する。でもいいや、と今だけは思った。
「なんで」
「お前が生まれ変わりだからさ」
「え?」
「私が愛した彼女の。だから安心しろ、転生したら傍にいてやろう」
 私は黙っていた。転生してこの男が傍にいるとして、果たしてそれはこの男なのだろうか。違うだろう。私が興味を持つのはこの男でしかないのだ。
「お前が私を顧みなくても、私はお前を見ていよう」
 見透かしたように男は言った。それが嫌で拗ねたような表情を作る。はは、と軽く男が笑った。
 突然、ふわりと風が体にまとわりつくような調子で抱きしめられた。男の体からは何のにおいもなかった。
「愛しているよ」
 続いたのは知らない名前だった。しかも聞き取りづらい発音だった。だがそれは不快ではなかった。
「ではな」
 ふわ、と風に溶けるように男は消えた。同時に、凄い勢いで私は意識が引き戻された。
「大丈夫?!」
 顔を覗きこんでいたのはあの忘れもしない夏の日、ものすごい勢いで頭を揺らした友人だった。流石に今は揺らしていなかった。おそらく教師に注意されたのだろう。
「ああ、うん平気。今は」
「ああ、脳震盪起こして保健室に来て、10分くらいしたとこ」
「ふーん」
 不意に涙があふれてきた。私も焦ったが友人はもっと焦ったことだろう。
「ど、どうしたの?!」
「いや、なんでもない」
 ぐずぐずとした鼻声で言う。理由は分からなかった、いやすぐに分かった。淋しかった。あの男はああ言ったが、私にはそれを確かめるすべはない。いないのと同じじゃないか、と私は思った。ただただ私は無心で涙を流した。



 しばらくして、うちでは猫を飼い始めた。灰色の美しい毛並みの雄だった。これは弟が友人の家からもらってきたのだが仔猫だというのに気位が高く家族の誰にも懐こうとしなかった。そのくせ家に誰もいないと私に甘えてくるのだった。
「お前なのかな」
 腹をくすぐりながら言うとうれしそうになあと鳴く。その小さな体を抱き上げて臭いをかいでもあの懐かしいにおいはしなかった。








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