3回目の来訪は、最初の来訪から半年以上もたった、真冬の朝だった。その日、私はあまりに布団から出るのがつらくてごろごろと昼過ぎまで布団に入っていようと画策していた。うつらうつらとしていたら、前と同じように、ふ、と鼻が甘ったるい腐臭を嗅ぎ付けた。
「……あれ、寒くない」
服もパジャマのはずだったのだが、前と同じ制服になっている。変だ、と思って顔やら福屋らを引っ張っていると、お嬢さん、と聞いたことのある声がした。何となく、後ろを振り向く。
「ああ、やっぱしお嬢さんでさ。急に旦那が怖い顔して黙り込むもんだから何があったのかとひやひやしちまいました」
宙に浮く不思議な髑髏が相変わらずのマシンガントークを繰り広げる。だが、何処か前回のような明るさがないように思えた。
「なんかあったの?」
「……ははあ、お嬢さんも勘が鋭い。ちょっと上の方から旦那にお客があるんでさあ。おかげでこっち、いつ首切られるか分かったもんじゃない」
「もうないのに?」
「比喩でさ、比喩。首は刈られずとも魂を刈られちまったらお終いでさ」
「ふうん」
どことなく声を潜める様子から、ただ事ではないと分かる。ふと、この口の減らない髑髏をここまで怯えさせる存在が気になった。
「ねえ、その上のひと? 見たい」
ぎょっとしたように髑髏が数センチ飛び上がった。辺りを見回し声を潜めて顔を近づける。完全に白化した頭蓋骨はもう何のにおいもないのだな、と初めて知った。だが、どこかで使える予定もない。
「だめでさ。お嬢さんはいわば、不法滞在者、知られりゃ旦那は罪が重くなるしお嬢さんは記憶を消されてもう此処なんかにゃ来れなくなっちまいやす。あっしはお嬢さんが気に入りやした。そんな情も糞もない別れだけは御免でさあ」
「ふうん」
確かにそれは嫌だな、と思う。せめて記憶ぐらいは持っていたい。
「あ、ねえ」
「なんで御座いましょう」
一つ気になったことがあって髑髏に声をかける。
「てことは、あの男も今日は来れないってこと?」
「そうなりやすねえ」
つまらない。それはとてもつまらない。確かに髑髏の話は面白いが、実際、私が興味があるのはあの男のことだったりする。意外と整った顔をしているのだ、過去に何をやったのかくらいは知りたい。
「つまーんなーい」
ぼそっと言うと、髑髏がああ、と煮え切らない声を出した。
「会うのは無理でも、話を聞くぐらいならできやすが」
「ほんと?!」
「旦那にとっちゃあ聞かれたくない話もあるでしょうが、それでもいいんですかい?」
大きく頷く。聞かれたくないとか言われても知らない。だって、私はまだ女子高生だ。まだまだ素直にふるまっていい時期である。特に、自分の知的好奇心を押さえつけて得る物は何もない。
「じゃ、あっしは何にも知りやせん。良いですかい?」
それにも大きく頷く。いざとなったら私が無理を言ったと証言してやろうじゃないか。
「じゃ、くれぐれも声上げたり手伸ばしたりしないように。ばれても知りやせんからね」
それにも大きく頷くと、髑髏は大げさにため息をついて、大きく口を開けた。いや、これは開けたという域ではない。本来なら、頭の内側の骨が見えているはずである。だがしかしそこには、小さなテレビ画面のように、一人の男が映し出されていた。
「よう、久しぶりだな」
響いてきたのは知らない声。ここでは聞いたことの無い随分と軽薄そうな声だ。続いて、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「知らん」
「しかしまあ、変われば変わるもんだな。何度生まれ変わっても白蛇として神に仕えるって言ってた奴がよ」
「黙れ」
もう一人はどこにいるのだろうか。画面にはあの男しか映っていない。それに、神に仕えるとは、何だ。
「ところで、お前も戻せ。話しづらくてかなわん」
「…………」
「ああ、もう戻れないんだったな。一番のお気に入りだったお前がねえ。くそっ、面倒臭え」
いきなり、白い髪を短く刈った男が、あの男の目の前に現れた。灰色を纏ったかのようなあの男とは違い、服や装飾品の類もすべて白で、神聖性を感じる。それは、神社とかによくいる巫女たちと共通していた。
「で? もう罪の清算も終わったお前が、何でまだこんなとこに居やがる。上もお前の立場を思って口には出さないかもしれないがはっきり言ってさっさと転生しろと思ってる」
「だから、お前か」
落ち着いた声であの男が言う。
「ああ?」
「私がいなくなって、重宝され始めたそうだな。こんなところに来させられるのは神への忠誠心が厚い上位の者だ。安心しろ、もう私は戻らん」
「意味解んねえ」
「転生しても、白蛇にはならん」
もう二度となるものか、とあの男は吐き捨てるように言った。それに白い男が目を一瞬見開いて、すぐに嘲笑した。
「白蛇にならずに、人間になるか? 馬鹿な奴だな、お前も。もうお前のことなんざ忘れてるってのに」
「だからなんだ?」
「いや。……ああ、そういや最近お前叫ばないよな。前はこの扱いは不当だの彼女を返せだのさんざん喚いていたくせに」
「何だ、聞こえていたのか」
拍子抜けしたように男が言う。白い男が気分を害したのが髑髏越しでもわかった。
「実際、今でもあれは不当だと思っているさ。我らに予知能力はないというのに、たまたま目に入った血の所為で穢れたと言われ目を焼かれこんなところに落とされたのだからな」
「知るかよ」
侮蔑しきった声で白い男が言った。それにあの男が乾いた笑声を漏らす。
「ほら、お前は現に私が悪いと思っている」
「…………」
目を焼く。そのことが、私の脳内をぐるぐるしていた。目を焼く。実際に火を押し付けられたりしたのではないのだろう。あの男の目にそんな痕跡はなかった。目を焼く。どんな時にその言葉を使うだろうか。
「馬鹿だよ、お前は」
白い男がぽつりと言う。あの男は何も言わずただ片眉を器用に吊り上げた。
「何が良くて、人間なんかに惚れるのか。欲に塗れた、穢れた女なんぞ」
「神よりはいいさ」
「何だと?!」
「神は無慈悲だ。人の情愛の方がよほどあたたかい」
「あたたかい? あたたかいだと?!」
傑作だ、と言わんばかりに白い男は笑い出した。あたたかさの何がいけないのだろうか、と私は少々不愉快な気がした。
「お前も堕ちたな」
笑いながら白い男は言った。ああ、と鷹揚に男が頷く。
「あたたかさを知ることが堕ちるというならばそれでいいさ」
「……帰る」
白い男は一瞬で掻き消えた。ふう、と溜息を零し男も踵を返す。かちん、と髑髏の顎が元の位置に戻った。
「ねえ、」
「やはりいたか、少年」
「…………」
私のことを少年なんて呼ぶのは私の知る限り一人しかいない。そのことに対しては今も不満だが今はそれ以上に聞きたいことがあった。
「目を焼かれたって?」
「最初に聞くのがそれか」
男は、いささか拍子抜けしたようだった。構うものか、とにじり寄る。話は聞いていたろう、と言われ私は無言で頷いた。
「私は血を浴び、その浄化と言われ神の光を浴びたのさ」
意味が解らなかった。
「あんなもの、直視したら目が潰れることぐらいは分かっていると言うのに」
男が節ばった手を白濁した目にかぶせる。あたりを重苦しい沈黙が支配しそうになって私はあわてて口を開いた。
「人間の女っていうのは」
ああ、と男が目に手をやったままうめき声を漏らした。
「長くなるぞ」
「いい」
手を下ろしすう、と男は息を吸った。
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